人物 (日台の架け橋) シリーズ
■許文龍(きょ ぶんりゅう)
1928年2月25日生まれ
台湾台南出身
1959年:奇美実業設立
1996年:総統府の国策顧問
陳水扁総統の相談役
台湾独立運動を支持
2004年:奇美実業会長職を辞任
2005年:「一つの中国」を容認する書簡を発表
この件に関する櫻井よしこ氏の見解
“許文龍氏事件”(櫻井よしこ氏のHPより)
氏は日本でもよく知られる台湾財界の重鎮で、奇美(きび)実業の創立者、根っからの台湾独立派である。陳水扁 (ちんすいへん)政権の誕生にも、彼は大きく貢献した。というより、陳氏の勝利は、許氏の支援なしにはおぼつかなかった。
台湾の統合を目論む中国政府は、許氏を憎み、許文龍つぶしを画策した。奇美実業が中国に注入してきた巨額の投資、工場、施設、従業員、役員らは、中国に とっては願ってもない“人質”である。彼らはその“人質”を巧妙に活用し、許氏を締め上げ、ついに許氏をして“中国は一つ”“台湾独立に私は反対”との誓約書を書かせ、これを公表したのだ。
◇台湾統治の肯定的評価
「台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したもの」
「日本人が来てまず治安が一挙に良くなり、衛生状態も良くなった」
「守る法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった」
◇奇美美術館のオーナー
後藤新平の銅像を見に行きたいです。
現在どこで何をなさっておられるのか分かりませんが、お会いしてみたい人物の一人です。
コメント comment
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私の友人の編集者が2008年許文龍氏への取材の為台南へ行きました。その時氏は財団が所有している450挺の楽器コレクションを紹介してくださり、「時間の流れで様々なものの価値が変わるが、芸術・音楽の価値は変わらない」と自らヴァイオリンで日本の童謡を奏でてくださったそうです。友人は感激で涙が止まらなかったといいます。そしてその楽器は台湾の音楽家たちに貸与しているそうです。入場料をとらない博物館、仕事をしてきた利益を芸術のために使い、沢山の人に喜んでいただけたら嬉しいですと、おっしゃったそうです。そしてもっと日本にリーダーシップをとって欲しいとも。日本人が忘れかけている、義理と恩返しの気持ちが感じられました。私も後藤新平の銅像を看たいです。台湾人の歴史と心を尊重、大切にした、尊敬する日本人です。
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2008年の取材ですか。ご友人がうらやましいです。
「時間の流れで様々なものの価値が変わるが、芸術・音楽の価値は変わらない」・・・許文龍氏の言葉だと思うと重みがありますね。
日本にリーダーシップをとって欲しい・・・、私の中国語の先生(台湾人)もおっしゃっていました。初めて聞いたときは戸惑いましたが、いまは感謝し、期待に応えるべきだとも考えています。