嘉義県の有志、岩手県の中学生を台湾へ招待

台湾嘉義県議会議長の余政達さんを中心とした有志が、「ホームステイ計画」を立案してくださいました。
3.11で被災した
小本中学校(岩手県岩泉町)の学生を
夏休みに
無料で台湾に招待する

台湾の日本への愛、
止まることを知りません。

いろいろな経験を積むことができそうです。
ただ、日本の中学生は
(おそらく親御さんも)
台湾のことをあまり知らないと思います。
渡航前に効果的な勉強会を開いたほうがいいと思います。
私が講師に立候補したいくらいです。
岩手日報2011/06/12朝刊
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追記:
以下、NNA.ASIAから引用します。
http://nna.jp/free/news/20110803twd002A.html
台湾 2011年8月3日(水曜日)
岩手の被災中学丸ごとステイ:全校生徒・先生を無料招待[社会]

東日本大震災の津波で被災した中学校を丸ごと受け入れる――。「被災した子供たちの心を癒したい」と嘉義県議会の余政達議長のたっての希望で主催されたホームステイ計画に岩手県の中学校生徒36人がやってきた。台湾から日本への温かい心遣いを伝えようとNNAも同行した。先生、生徒らの表情を報告する。【大石秋太郎】
嘉義県は「添福日本、台湾有愛(日本に福来たれ!台湾には愛がある)」と名付けた同計画で、先月27日から9泊10日の日程で、岩手県岩泉町立小本(おもと)中学校の生徒や教師など計43人を招待した。交通費から食費まで費用一切を同県議会や財団法人の大河文化基金会、福添福社会福利基金会などが負担した。
県内の子供のいる家庭にホームステイしてもらい、観光名所などを案内、ギョーザ作りなどの体験を先生、生徒、ホストファミリー、ボランティアの大学生らと共有した。震災後のこうした受け入れは、世界でも台湾でも初めてだ。行程に盛り込まれた夜市での自由行動では、生徒1人ずつにお小遣い500台湾元(約1,300円)まで配られた。
■東北新幹線さえ初めて
先月27日午後5時過ぎ、台北市の松山空港。生徒らはスーツケースを引きずるようにして到着ロビーに姿を現した。パスポートはおろか、飛行機にも東北新幹線にも乗るのはほぼ全員が初めて。そんな生徒たちを張花冠・嘉義県長自らが出迎えた。同計画のオリジナルTシャツを着た県議会職員や通訳など50人余りも空港で待機していた。地元メディアによるカメラのフラッシュの嵐に少し戸惑いながら、生徒らは早速、台湾高速鉄路(高鉄)の台北駅に向かった。
夜8時過ぎに高鉄嘉義駅に到着。スケジュールは分刻み。日本での集合は午前6時だったが、ある生徒が起きた時間は「4時くらいかな。もっと早い子もいますよ」。最初の宿泊先である県議会ビル・宿舎に着いたのは午後9時前だった。
同ビル玄関の電光掲示板には、日本語で「小本中学校の皆様、ようこそ台湾の嘉義へ」の文字。移動のバス内ではそれぞれに会話していた生徒たちだったが、それを目にして、「おおっ」という歓声と拍手が自然に沸き起こった。
慣れない旅に疲れて、初日の解散後に友人同志で集まろうと盛り上がっていたグループも「やっぱりきょうは寝るか」。ハードスケジュールや熱烈な歓迎、マスコミの写真攻勢に疲れ気味の様子で、ぼんやりと車窓の景色を眺める生徒も多かった。
翌28日朝、生徒らが県庁を表敬訪問した際には、張県長が神様のご加護があるように、とお守りを生徒一人ひとりに手渡した。
■台湾行き「やったー」の歓声
小本中学校は校舎が津波で全壊した。全校生徒38人は代わりに、隣の岩泉中学校の仮設教室で勉強している。不幸中の幸いで、震災による被害者は出なかった。小野佳保校長の目には「不便を感じながらも、これを機に子供たちは成長している。自分たちの生き方や家族、地域社会とのきずなを考え始めている」と映っている。
今回は、健康上の理由などで参加できなかった2人を除き、1~3年生の全員が台湾へ来た。台湾行きが決まった時の反応は、驚きと同時に「やったー」の歓声が上がったそうだ。初めての異文化体験にどのような印象を持ったのだろうか。
2年生の加藤有希子さんは数年前に神奈川県から岩手県に引っ越してきた。それでも小本中学校では「全校生徒みんなが幼なじみみたい」。台湾の食べ物は合うかと聞くと「とてもおいしい」と声を弾ませたが、砂糖入りのウーロン茶や緑茶はどうも慣れないようだ。ホームステイ先には日本語学科で学ぶ大学1年生がおり、言葉の問題もなさそう。今回の最大の楽しみは「遊園地とショッピング」という。
クラスメートの加藤夏希さんのホームステイ先は、両親と小中高校生の計6人の家族。誰も日本語を話せないそうだが、「パソコンとか電子辞書を使ってコミュニケーションできるから大丈夫」と特に不安はない。スケジュールについては「楽しいです。次の日の準備をするのが大変かな」。
■意思疎通は筆談
今回の計画には、嘉義県にある呉鳳科技大学の日本語学科の林由紀恵教授や学生12人が通訳ボランティアとして参加している。小本中学校側は先生も生徒も、行程の具体的な内容は知らされていない。学生ボランティアの中には、日本語学習を始めて1年足らずの人もいたが、積極的に中学生たちに話しかける姿が頼もしい。
日本の中学生の印象は「あまり自分の思っていることを話さない」(4年生の女子学生)そうだが、3日目には分からないことを自分から質問したり、笑って話している光景を多く目にするようになってきた。
ホームステイは1家族につき生徒2人を受け入れる。必ずしも日本語が話せる人がいるわけではないようだが、パソコンを使ったり筆談をしたりして、意思疎通を図った。コーヒーショップを経営する陳麗雲さんの家庭は6人家族。17歳と15歳の息子は「簡単な英語が話せるだけ」だが、夜は子供たち同士テレビゲームで盛り上がった。陳さんは友人の紹介を受けて、「大変意義のある計画」と思い、すぐに応募した。「日本の子供たちにとって異文化体験となるだけでなく、自分たちも学習し、成長できる」と感じたからだ。
■「台湾も大地震から復興した」
嘉義県では、1999年の台湾大地震(921地震)や2009年8月の台風で深刻な被害が発生した。その際に援助してくれた日本へお返ししたいと県議会の余議長の強い思いから計画が始動。「経済的に恵まれた自治体ではないが、義援金とは違う形で被災した子供たちに手を差し伸べたかった」。
「どんな被害を受けても必ず復興するんだ」と子供たちに勇気を与えるため、行程には台中市霧峰の「921台湾大地震記念公園」や09年の台風による被災地に建てられた新興住宅地「日安社区」を組み込んだ。
今回、日台の架け橋となった311東北関東大震災在台湾日本人支援会の上田功さん(53)によると、嘉義県は5月中旬、具体的な招待先の学校も決まらないままに、受け入れ先向けの説明会を開いた。オリジナルTシャツも先に完成させていた。
上田さんは、気持ちだけが先行してしまっていた嘉義県側に「そんなアバウトな計画では招待できない」と練り直しを求めた。一方で、台湾側の気持ちをありがたく感じながらも、文化や環境の異なる土地でのホームステイに慎重な日本側には「どうして親切心をストレートに受け入れられないのか」と声を荒らげてしまうこともあった。「それでも、実現したんです」。上田さんは余議長の強い思いを被災地の子供たちにどうしても伝えたかった。
■町教育委職員の涙
2日目の夜、ホストファミリーとの対面式典で、岩泉町の橋場覚副町長は「日本人は人前では泣かないものだ。ただ、生徒とホストファミリーが対面したところを目にして、思わずこみ上げてくるものがあった」と感無量の面持ちであいさつした。
夕食をみなで共にしたこの場では、オリジナルTシャツをデザインした台湾人アーティストがギター演奏や寸劇で盛り上げた。場が熱くなったところで、この日ちょうど誕生日を迎えた女子生徒の一人のために、サプライズで大きなお誕生日ケーキが用意されていた。
記者が同行したのは最初の3日間。生徒たちは、慣れない海外で分刻みのスケジュールをこなすのに精いっぱいという印象を受けたが、一行が訪れる先には必ず余議長や県職員が同行した。日本語を話せなくても、知っている限りを駆使して、常に生徒たちに話しかけようとする。記者は、うわべだけではない、心からの歓迎を幾度も目にした。
多忙の中でも生徒の緊張が次第に解けていったのは確かで、3日間でカメラに向ける笑顔も自然になった。
きょう3日は台南市官田区にある八田與一の記念公園、マンゴーで有名な同市玉井区の青果市場を訪れる。夜には生徒全員が、地元の「小本さんさ踊り」を受け入れてくれた人たちに披露する。岩手県は民族芸能の宝庫と言われ、さんさ踊りは盛岡市を中心とした各地区で踊られる、夏の夜を彩る風物詩なのだ。一行は4日に北部へ移動、台北市の故宮博物院などの観光地を巡り、5日に帰国する。
記者は残念ながら3日目の夜までで一行から離れることになった。その夜、岩泉町教育委員会関係者、小本中学校の先生らと夕食を共にさせてもらった。酒が進むうち、教育委員会職員の一人は「わたしも副町長と同じです」と独りごちた。
「生徒もみんな平気な顔をしているが、今回の大津波で全てを流された大きな悲しみを胸の内に抑え込んでいる。皆さんの厚いもてなしに本当に感謝しています」。涙をこぼしながら語った彼の顔が忘れられない。

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コメント comment

  1. 茶々 より:

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    岩手県さんが交通費を出してくださるなら、私も講師になりたい!「アジアのどっかの国に行けるんだって~」なんて思われちゃ、たまりません。
    歴史的背景、どんな気持ちで招待してくださるか等々、親子ともども認識してもらわないと申し訳ないです。
    ところで、台南市は仙台の子供たちを呼ぶつもりなんですって?それに対抗(アワワ・・・)じゃなくて追随した企画でしょうか?
    講師も結構ですが、yamatoさんは岩手県からの随行スタッフ兼監督役で台湾に行くのは如何でしょうか?

  2. キモ より:

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     初めまして。お隣の世界的に有名な福島県在住のキモと申します。以前から時々お邪魔していました。10年程前に訪台して以来、すっかり台湾迷になりました。
     台湾の方々、またまた素晴らしい援助をしてくださるのですね!もう、なんとお礼を言ったらいいか分かりません。とはいえ台湾をご存じでない方も多いので、是非岩手に出向いて事前研修をして頂きたいです(笑)叶うなら、福島の子どもたちにも放射能のことを忘れて、あの青空の下で汗だくで遊ばせてあげたいです。
     

  3. yamato より:

    74be16979710d4c4e7c6647856088456
    はい、やはり事前レクチャーは必要ですよね^^
    台南市と仙台市は確か友好交流都市の提携をしていますよね。
    一方、岩泉と嘉義につながりは見出せませんので、どういう経緯があったのかとても興味があります。
    仲介役がいたようですが、ちょっと調べてみようと思います。
    「随行スタッフ兼監督役で台湾に行く」ことができたら最高ですね。
    多くの日本人に台湾のことを教えることができますし、台湾との太いパイプもできるので、
    将来的にも良質な日台交流促進が期待できます。

  4. yamato より:

    74be16979710d4c4e7c6647856088456
    >キモさん
    はじめまして。コメントありがとうございます。
    はい、台湾の方々の日本支援は本当にすばらしいです。
    このことを知らない日本人が多すぎることが残念でなりません。
    「事前研修」、できることなら実現して日台交流に貢献したいですね。
    福島の子どもたちも、いつの日か成長して、台湾の日本支援がいかにすばらしかったかを理解してくれたらと思います。
    同じ東北在住の台湾迷として、今後ともよろしくお願いします^^

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